とかげの尻尾
かつて付き合いのあった占い師が軒並み頭おかしくなっててこわい。
しかも大体頭を乗っ取る系だから言葉に耳を貸してはいけない。
目も耳も貸してはいけない。
相手にしてはいけない。
「世の中にはまともに相手にしてはいけない人間ってのがいる。」
~ってのの典型だった。
ついでに女性の自立とか、なんか性別にこだわってなんかしようとする人は大体失敗してる気がする。
女性とか、男性的とか性別分けしてる時点で本人が重要な何かを昇華してない気がする。
多分だけど(性別の場合)『女性はこうあるべき』的自分の個人的拘りと理想とするものがごっちゃになって支配的になっちゃったり矛盾が発生してることに気づきそびれて見逃したり。
とにかく何かおかしい。
どんなに頭がよくて素敵っぽくて優秀で言葉巧みでも、胆が腐ってたらだめだろ。
人はゆっくりしか大きくなれない。
急ぐとどっかで必ず肝心なところを間違える。
気づいて修正できればいいけど、きちんとしないままだといつまで経っても有り様が「とかげの尻尾」なんだよね。
あたしもきちんと落とし前つけるところつけんとあぶねえな。
純粋に元気でいてほしい。
旦那さんのおとうさまから電話もらって少し話した。
おとうさま。
お気遣い戴いていることは重々承知且つ大変有り難く感謝しております。
ですが、できましたら先月車酔いを起こして吐いた出来事自体を忘却の彼方に消し去ってはいただけませんでしょうか。。(号泣
いや、事実だし嫌な思いなんか全くしてない(有り難い!)のだけど一方で思い出すだけで、申し訳なさと恥ずかしさでたまらなくもなるの。
話変わる。
数年前にミニバス時代の監督が癌で死んだらしい。てか、死んだときに聞いていたけど私は殆んど何も思わなかった。
「お前が中学顧問に余計なこと吹き込まなかったら...!」
という恨みがあったからだ。
沢山の情緒的な表現、ボキャブラリーを教えてくれた先生ではあったけどいっつも酒飲んで殴ってた。
でも、割と好きな先生でもあった。
だからこそ何を吹き込んだか知らんが「裏切り」と感じる行為がショックで許せなかった。
んでも、それはそれとして。
胃癌で死んだこと、よく酒とお茶を飲んでいたこと、怒鳴ったり殴ったりしていたこと、やたら文学に関する表現方法が美しかったこと、責任ある立場にいてやたら風当たりが強かったこと。
ちょいと想像力を働かせれば「そりゃあ病むよなあ」と思う。
その点は
本当にお疲れ様でした、ありがとうございました。
~なんだけどさ。
ミニバス、
頑張り抜いた日々を君の誇りに...。
~ってのがテーマだったなあ。
まあ、頑張り抜いたところで何も残らなかったけどね。
それこそ中学時代以降の地獄を私はかなり頑張り抜いてた気がするけど、本当に何も残らなかったし。惨めなだけ。精々、なんとか死なずに生きてきたことが誇りだ。
死ぬ前の年、私に会いたがってたと母親が言ってたけど、当時全く信じられなかったし、今もほぼほぼ嘘だと思ってる。
大体、あの先生が会いたかったのは元気な私であって惨めに必死に生き残ろうと頑張る私ではなかったと思う。
会ったら会ったであの先生は多分何となく察してなんか適当なこと言って、そのあと勝手に一人で傷ついてたと思うし。
地方に住む友人の癌があちこち転移している。余命宣告はまだ受けてないらしいけど、よくはない。
何故、傷を負ってるのに走ろうとするのか。
安静が必要なときほど、人は焦って走りたがる。
その姿を美しいという人もいるだろうけど、
私はそう思わないし思いたくない。
よほどな大義を持つ場合を除き、ただ自分をいじめているだけだと思う。
母親がよくやるみたいなんだ。
ストレスで髪を坊主頭に切ったりドカ食いしたり馬鹿みたいに働いたり。
私の知る人にはそういう、自分に針を突き刺すような行為をできればしてほしくない。
痛くて辛いだけだから。
殆んどの場合デメリットの方が多いから。
何が本人の幸せかわからないけど、自分にとっての本当の幸せを間違えたり放棄したりしないでほしい。
元気でいてほしい。
普通に残酷な言葉だよなあ
よく知らないおばさんの『思春期みたい』発言が地味に心に突き刺さっている。
あんなに理不尽な思いをして沢山苦悩したのに、思春期と言われるのか。
みたいな。
バカにされてる気分になって仕方ない。
思春期て。
知らない人はまあその程度の認識しかできんのだろう。
そういえば元住吉でホームドア乗り越えて自殺試みた人がいたみたいだけど、なんかわかる気がする。
逃げだとかなんとか、誰に何言われてももうどうでもよくて、全部に絶望して疲れちゃうとそうなるよなあ。
飛び込む練習、飛び降りる練習、首吊る練習何度したことか。
失踪は試みてもすぐ旦那さんに見つけてもらったけど。(失踪は不思議なくらい見事に失敗した)
私が救われる日は来るのか、報われる日は来るのか。そもそもどうなれば報われるのか。
正直もうわからない。
わかったのは、「私は残念ながら周りの人とは結構・大分・かなり悪い意味で"違う"んだな」ってことだけなんだよね。
色々頑張ろうとはしてるけど、時々やってくる虚無感に負けてる。
本当に疲れたんだってば。
あれやこれや。
旦那さんに依存していると言う人がいるかもしれない。
そうかもしれない。
というか、私が多分誰よりもそう思っていたしそうであることを恐れていたし批判していた。
でも、実のところは多分うまい具合に相互依存じゃないかとも思っている。
少なくとも私が下手に働いちゃってヒステリー起こして殺伐とした家庭生活送るより今の状態でいる方がずっといい。
下手に何かしようとしない方が基礎体温の具合もいいし。
ベストな有り様ってのは外からじゃ見えないところでもある。
普通にやってればいいと思いたい。
私は恐らく何かしらの)心の病と婦人病が治らないうちは人をきちんと相手取ることや好きになることは難しいのではと思っている。
だから、その間手紙受け取ってくれる人は有り難い。いつか普通に友達になれるかもしれないと思っている。
好きでも『嫌い』だと言いたい
『お前なんか嫌いだ!!!!』と、相手のことが好きでも嫌いでも叫びたくなることがある。
ああ、これを言った上で普通に話せたら楽しいだろうなとすら思う。
気兼ねなく話したいのだけれど、話していいのかわからないから遠慮してエラく緊張してしまうのだ。
人に会うと否応なしに緊張する。
すると蕁麻疹出るし飲む水の量が異様に増えるし数日寝込む。
単体で人に会うのは精々月に2~3人が限界だろう。
もういっそはじめから嫌いだとか嫌われてるとか開き直っていられたらもっと楽しく気楽に話せるんじゃないかと思う。
実際緊張してるうちはみんな嫌いだと思うしね。おかしな嘘が混じるから。
できればもっと気楽に好きになりたいし好き勝手お話ししたいし楽しみたい。
打ち解けたいのに打ち解けられないのは辛い。