はたらかない私の生活ブログ

とあるひ、 私は ” なにがあってもはたらかないぞ٩(๑❛ᴗ❛๑)۶” と、きめた。そして歴史は動いた。

純粋に元気でいてほしい。

旦那さんのおとうさまから電話もらって少し話した。


おとうさま。
お気遣い戴いていることは重々承知且つ大変有り難く感謝しております。
ですが、できましたら先月車酔いを起こして吐いた出来事自体を忘却の彼方に消し去ってはいただけませんでしょうか。。(号泣


いや、事実だし嫌な思いなんか全くしてない(有り難い!)のだけど一方で思い出すだけで、申し訳なさと恥ずかしさでたまらなくもなるの。


話変わる。

数年前にミニバス時代の監督が癌で死んだらしい。てか、死んだときに聞いていたけど私は殆んど何も思わなかった。

「お前が中学顧問に余計なこと吹き込まなかったら...!」
という恨みがあったからだ。


沢山の情緒的な表現、ボキャブラリーを教えてくれた先生ではあったけどいっつも酒飲んで殴ってた。
でも、割と好きな先生でもあった。

だからこそ何を吹き込んだか知らんが「裏切り」と感じる行為がショックで許せなかった。

んでも、それはそれとして。

胃癌で死んだこと、よく酒とお茶を飲んでいたこと、怒鳴ったり殴ったりしていたこと、やたら文学に関する表現方法が美しかったこと、責任ある立場にいてやたら風当たりが強かったこと。

ちょいと想像力を働かせれば「そりゃあ病むよなあ」と思う。
その点は
本当にお疲れ様でした、ありがとうございました。
~なんだけどさ。

ミニバス、

頑張り抜いた日々を君の誇りに...。

~ってのがテーマだったなあ。

まあ、頑張り抜いたところで何も残らなかったけどね。
それこそ中学時代以降の地獄を私はかなり頑張り抜いてた気がするけど、本当に何も残らなかったし。惨めなだけ。精々、なんとか死なずに生きてきたことが誇りだ。

死ぬ前の年、私に会いたがってたと母親が言ってたけど、当時全く信じられなかったし、今もほぼほぼ嘘だと思ってる。

大体、あの先生が会いたかったのは元気な私であって惨めに必死に生き残ろうと頑張る私ではなかったと思う。

会ったら会ったであの先生は多分何となく察してなんか適当なこと言って、そのあと勝手に一人で傷ついてたと思うし。



地方に住む友人の癌があちこち転移している。余命宣告はまだ受けてないらしいけど、よくはない。

何故、傷を負ってるのに走ろうとするのか。
安静が必要なときほど、人は焦って走りたがる。

その姿を美しいという人もいるだろうけど、
私はそう思わないし思いたくない。
よほどな大義を持つ場合を除き、ただ自分をいじめているだけだと思う。

母親がよくやるみたいなんだ。
ストレスで髪を坊主頭に切ったりドカ食いしたり馬鹿みたいに働いたり。

私の知る人にはそういう、自分に針を突き刺すような行為をできればしてほしくない。

痛くて辛いだけだから。
殆んどの場合デメリットの方が多いから。

何が本人の幸せかわからないけど、自分にとっての本当の幸せを間違えたり放棄したりしないでほしい。

元気でいてほしい。