はたらかない私の生活ブログ

とあるひ、 私は ” なにがあってもはたらかないぞ٩(๑❛ᴗ❛๑)۶” と、きめた。そして歴史は動いた。

説明する努力は必要だなぁ

『周りはぽえぽえさんの病気や置かれていた環境を知らないし、わからないし、理解しないと思う。でも、それはそれとして、ぽえぽえさんは説明しようとする努力をする必要はあるよ。』

と、旦那さんが言うので自分の状態や複雑な家庭事情をさらりと説明する努力をすることを心がけることにした。

でも説明が難しい。
多かれ少なかれ家庭に問題抱えてるのが大体だろうし。

「典型的機能不全家庭の育ちなんです」
なんて言っても絶対通じないし、かといって私の個人的具体例を出すと普通に生活してる人からすればやたら重い話になる。

『レ●プ未遂で騒ぎになった際、私を完全に無視して相手の家族を哀れんで騒ぎ自体をなかったことにしようとするような家庭です。』と言っても私にデメリットが発生するだけだ。

『想像がつかないような基準で物事が動いてる家庭です。』でいいかな?

少なくともぽえぽえさん思春期みたいと言われることはなくなってほしい。

『そうなのかな?』と少し考えたけど、普通に違う。事情が違う。全然違う。
そこで傷つく必要はないのだけれど、ちと傷ついてもうた。

一方で『ああ、世間は私みたいな人をそんな風に見るのだな』と思って納得した。

理解されないことを当たり前としつつも事情をさらっとわかるように説明する努力をする必要があるってのは確かみたいだ。

疲れと共に現れる心の傷

今日1日寝込んでいた際に猛烈にうなされて「おにーさぁああああん!!!!」とわあわあ連呼してた。

そのまま寝て起きたらケロリとしている自分がいた。わあわあ騒いだのがいいグリーフワークになって気が済んだのかもしれない。

たぶん、私には理想のお兄さん像があって、私は構って欲しかったし色々と助けてほしかったんだと思う。

残念ながらそうならんかったけど。

その結果いいんだか悪いんだか旦那さんが兄に非常に近い年の人になってしまった。
とはいっても幸せだし心の傷めいたものが少しずつ治っていくことに安心を感じる。
旦那さんが旦那さんでないと治る見込みがなかったと思う。これはマジで。
絶望的だったし。
この絶望的というのは割と笑えないレベルで、実際ある時期までは旦那さん「いない間に首吊ってないか」と毎日心配だったらしい。

いつか完治するといいなあと思う。

最近やたらと自立した女性を推奨しているが、まあその方がいいと思うし私もそうありたかったしまだ諦めてないけど、なんかそればっかり推奨されるとそれはそれで「悪い」気がする。

なんか、気持ちが悪いんだよね。
今やたらと騒いでる女性自立推奨。
なんか変。


世間は病を理解しない

友人からアトピーの子に過保護過ぎる親に物申したい話を聞いた。

私の上の兄は重度のアトピーなので聞いた話にはなんとも答えられんかった。

病気の話で働きたくても働けない話をしたら単発の仕事やらなんやらを勧められた。
単発の仕事もやったんだけどね。

彼女は私が何故働かないのかわからないようだった。

私が月に人に会える回数は精々2、3人が限界であること、下手すると帰ってから全身に蕁麻疹が出て数日寝込むことを話したが全く理解できない様子だった。

まあ、私は見た目が図太そうだしな。

正直悲しかったが、「これが社会だ」と思うと納得できた。

私は働いてる人とは違う苦労をしている。
彼女は働いてない人とは違う苦労をしている。

それだけのことで、別にその違いや苦労を理解しようとするかしないかは人それぞれの問題であって義務ではないし、理解しようとしたところで難しいだろう。

ただ、虚しい気分にもなった。

もし彼女が私の立場だったら、彼女は働けない苦しさに耐えられるというのだろうか。
無理解に耐えられるのだろうか。

死ぬまで死から逃げるよ!



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生きるって何だろう。

信仰心を無くした自分とか考えられない。

加えて、働かない自分が存在する意味がわからない。

恥ずかしい。

我の強すぎる私だから、一人では生きていけないのだということを色んな人に頭を下げ続けながら教え込まれているのかもしれない。

でも、一人で生きようとせずにはいられなかった私は愚かそのものなのだろうか。

死ぬまで何かしらどこかしら愚かだろうけど、それだけじゃないとおもいたい。
まともに考えるだけでとても苦しいけど。

時々全部投げ出したくなるし消えたくもなる。でも、結局死ぬまで悪あがき。

いつか必ず死に捕まるけど。

それまでに少しはマトモに、なにか宿題をおわらせたいなぁ。

病の理解を強要することは横暴だ。

何故人見知りなのか。
何故、働くと、人に会うと、指示に従おうとすると蕁麻疹が出たり咳が止まらなくなったり何も言えなくなったり震えたり動けなくなったり病気になったりするのか。


たぶん。

人の言うことに従いたくないのだろう。

今の「私」は人の言うことに従うことを、言う通りにすることを体から拒否してしまう。

傍にいて。
見守ってて。
声かけて。
助けて。
遊んで。

今の私はたぶん、こいつを人に求めてる。
助かるのは自分だけど、助かろうとしない限り助からない。
求めないと助けは得られない。
でも、望む助けとはなんなのか。
私は独りではない、正しく適切に助けてくれる・守ってくれる・正してくれる人がいるのだという充分な実感なのかもしれない。

でも、それをしてくれるか否かで他人を勝手に秤にかけるのはとてもよくないことに思う。

それは病を傘に被った押し付けと攻撃だ。
とてもよくない。

病気を理解してもらえなくても、それはそれで当たり前なのだ。
恥ずかしい。

「落書き」をさせてくれ。

絵を描いてると必ず注文がつく。
私のための行為なんだから好きに描かせてくれ!

と思う。

何もしたくなくなるから、やめて欲しい。
誉めて何度も描かせてればいいのに、あーしてこーしてとあーしろこーしろ

もーーーーうるさい。

ようやく少し筆を持ち始めたんだからしばらくほっといてほしい。

どうしたら治るのかな?

漢方薬局にいくかも。
治療開始もう4年。
ある程度落ち着いてきてはいるが肝心なところがまだ緩和している気配がない。

食生活のことも考えたいし、いい加減うまくやっていきたい。

夕方~夜まで寝て、起きてまたすぐ寝るも暑くて寒くて眠れないとか毎日がかなり辛い。

一生付き合ってく病ならそれならそれでやりようを探さないと生活が虚しくなってしまう。