はたらかない私の生活ブログ

とあるひ、 私は ” なにがあってもはたらかないぞ٩(๑❛ᴗ❛๑)۶” と、きめた。そして歴史は動いた。

狂気をコントロールするための病気

妙な自信のなさが私を閉じ込めてる気がする。

病気のせいなのか、病気だからという思い込みなのか、その他精神面での問題なのか、どうもおかしい。

私の年代なら体力有り余ってて当たり前なのに、何故こうも無気力というか、動かないのか。

動くときは爆発的に動くのに。

あまりにおかしい。

動きたくないというより、私が動くと場も人も自分さえも荒らしてしまうという恐れ&『場を荒らすようなことをしてはいけない』縛りをしているのではないか。

一人になることを
独自であることを
独特であることを
支配されることを

見守られないことを異様に恐れている。

怒られることを異様に恐れている。

反応としての恐れが大半だと思うのだけど刷り込みによる影響がでかい。

でも何故そこまで恐れるのか。

何をするかわからないから。だと思う。
私は放っておくと周りの人から見れば無茶苦茶なことをするらしい。
私も一応分別はつくけどそれでは話が進まないからと取る行動が無茶苦茶らしい。

ハナっから無茶なことや支配感漂う会社では働かない...というか、無意識に抵抗・激怒・ムカついて、仕事しようとしても出来なくなる。病気になってでも出来なくなる。

でも、私が何かすると周りが動く。
だから、いろんな人が私に目をつける。

でも、私は人見知り(というか、洞察力が高めなのかもしれない)なので違和感を持ったことは絶対に手を出さない。
というか、手が動かない。

私のためになりそうなことでも動かない。
なんで私がそんなことせにゃならんのだ?
位の勢いで。

そのくせわけのわからんことに首を突っ込む。
自分の無茶苦茶さにげんなりする。

兄貴は車を燃やしたらしいがそれでも車を運転する無茶苦茶で迷惑な奴だけど、私も多分その血を引いてるのだと思う。

私は無茶苦茶な自分、我の強すぎる自分が自分も周りも破壊した経験から恐らく人よりかなり自分を律しようという気持ちは強いのだと思う。

でもそれは同時に元の自分を拘束することでもある。そりゃ別の病気にもなるわ。
でも、人を殺しかねない程の力をもっていて人の思い通りになることを異常に嫌い、性格が破綻している私を容認していいとは思わない。

存在を認めることは出来ても表に出したくない。
嫌われるし、私自身も嫌だ。
欲望に忠実であることが正しいとは思わない。
突出していればいい、とも思わない。

狂気に身を任せることが正しいとは思わない。狂気は別の形で消化されるべきだ。

気にせずに生きられたら楽なのだろうけど、あの無茶苦茶さは人をやたら傷つけるし自分も傷つく。
だから、いやだ。

そう考えると私が私らしく、私の普通を生きるための生活習慣を獲得するために今病気になっていると、思った方がいいのかもしれない。

そう考えるとなるほど時間はかかるが確実だ。進捗は遅くても方向性としては全部ベストに向かってる。大丈夫。