なんか色々。
地元の文房具屋さんの折り紙技術すごい!
ついでだから文房具の品数も増やして!(懇願)
いやはや。
クレープ食べたさに旦那さんに「クレープ食べたいクレープ食べたい」と、発狂したらわざわざ横浜連れていってくれた。
チョコバナナ生クリームにソフトクリームをトッピング。
うまい。
でも乳製品の味が濃いのでバランスとしてはいまいち。
マリオンクレープのがクレープとしてはうまい。
素材は明らかにこちらの方がいいのだけど。
素材がよけりゃいいってもんでもないことが証明された。
いまのところ元町のドンってクレープ屋とチェーン店のマリオンクレープがお気に入り。
お金出せばうまいってもんでもないし、中々難しい。しばらくクレープの旅に出るかもしれない(笑)
日本人は忙しいなあと思う。
忙しくないと食っていけない現代社会が問題なのかもしれないけど、とにかく忙しい。
気忙しいと言った方がいいのかな?
そんなんで、誰がしがらみなく至極個人的な話を聞いてくれるのだろう?
瞑想すればいいのかもしれないけど、私はそれだけではダメだろうと思う。
私が疑問なのは、瞑想とは何か?ということなのだ。
行動そのもの、生活そのものが内省になる場合もある気がするし。
というか、私個人的には本来そうあって然りなのではないかと思う。
旦那産の様子を見る限り、今の社会ではそれが不可能なのかもしれない。
私が占いで金を払い人とのコミュニケーション・自己救済を図ったように、厨二病ヲタはお金を使って二次元やネットにコミュニケーション・自己救済を求める傾向にある気がする。
偉くなるとキャバクラなどにお金を使ってコミュニケーション・自己救済を図る。
大半の人が打ち明けられる相手、コミュニケーションによって自己救済を求めている。
精神対話士なんて資格が出てきたが、そのうち国家資格になるかもしれない。
実はこの資格を取ろうかどうしようか迷っているのだが、なんだかんだと気が進まない。
人の心は信頼がなくては動かない。
「話す」という行為が常に悩む人にいい影響を与えるとも思えない。(これは個人的に確信している。)
商売のためのコミュニケーションは交流というより商談だ。商談めいたものをコミュニケーションとするのは息苦しいのではないかと思う。
そうではなくて、コミュニケーションのためのコミュニケーション相手と自己救済のためのコミュニケーションの相手があれば・いれば大分いいだろうになあと私は思う。