はたらかない私の生活ブログ

とあるひ、 私は ” なにがあってもはたらかないぞ٩(๑❛ᴗ❛๑)۶” と、きめた。そして歴史は動いた。

私が私であるため


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汚いデスク(笑)
でもすぐ綺麗にできる自信がある。

「ブログに色々ぶっちゃけてますけど恥ずかしくないんですか?」

と、問われた。

その、「恥ずかしくないんですか?」の内容を問い忘れた。

自分のことを恥ずかしがる方が、恥ずかしいと思うんだ。

やたら恥ずかしがる人の大体は「何かしら後ろめたいから」恥ずかしい、ってのが恥ずかしがる理由だから。

多方面にわたる思いやり、配慮由来で自分のことを書かないことは美しい在り様だけど、それは自分と周りに余裕がある人がすることだ。

私は隠すことによる害悪を突破するために、恥ずかしい、本来であれば隠すべきであると思われることを露呈することにした。

それが私のブログの始まりなんだよね。

こんなに恥ずかしい私が今更何を言ったって書いたってこれ以上恥ずかしい訳がないだろ!もう隠すな、晒せ!と。
(ほぼほぼ暴露療法に該当すると思う。)

だから、私と私の身内は切り離して見てほしいという願望はあるけど、恥ずかしくはない。
それが私だから。

むしろ変な誤魔化しをしなくていい解放感の方が強い。

この年にもなって未だにコミケの熱気を感じたことがないのが恥ずかしいとか、
変態仮面鈴木亮平のケツが見たいとか、堂々言えることのほうが快感。

否定的な人がいても「あ、(この人は)そうなんだ!?」とか「なんでこの人はそんなこと言うのかな?」とか思えるし。

自分に直球でいられるのは快感だ。
複雑であること、そうある必要性を強いられる方が辛い。

私はアイドルではない。
イメージは大事だけど、だからこそ私である必要があると思ってる。

本当に私が私に戻ってきているなら、読んでくれてる人はそいつをブログの内容で理解してくれるだろうと思う。
理解していて祝福と共に私を改めて受け入れてくれる人もいるかもしれない。

理解しない人もいるかもしれない。
うまくいったら途端に嫉妬起こす人もいるかもしれない。

でもそんなの、実際のところ今とたいして何も変わらない。
人の出入りはあっても、理解者と否理解者がいることは変わらない。

私の土台はしっちゃかめっちゃかだった。
このブログに貼った画像の机の汚さよりもっと汚かった。
実際、数年前まで私の机はほぼこれよりひどい、無秩序な汚さだった。精神状態同様。

でも今は家も机もある程度綺麗な状態をキープできるし、今日みたいに机が汚くなってもすぐに綺麗にできるという、自信もある。
実際そうだし。
洗い物は嫌いだから中々やらないし、時々やってもらってるけど。(^-^;

でも、そういった事情があるからこそ、土台である私と私の環境を整えるためにもブログを大いに利用させてもらってるのさ。


~という回答をしたかったけど、何しろ必要になる説明が長いのでうまく答えられなかった。

「私が私に戻るためにやってることだから、恥ずかしくない。てか、恥ずかしいとか恥ずかしくないとかそういう事言ってられる余裕がない状態だから書いてるのよ。」

~と言えば通じたのかなあ?